コンプレックス

ここのところ、ある人が自宅で総勢15人になるパーティーを催した、というblog記事を(くりかえし)目にして、個人的にコンプレックスをちくちくと刺激されていた。
私は人を「もてなす」ことに苦手意識がある。秘書と名乗っているが実はお茶くみは苦手だ。家に人を招くことなどついぞしたことがない。特にこの家になってからは親戚すら片手で数えられる回数しか来てもらっていない。家に遊びに来る友達もいない。(子どもの友達はいっぱい来るが、1部屋に隔離している。おやつは滅多に出さない。)実家では応接間があって父の仕事上月例の会合に15人くらい軽く集まっていたが、実は毎回母のかもし出すマイナス波動が私には伝わっていた。「本当は家に他人を入れたくない」というマイナス波動。手伝おうと近寄るとかえって邪魔がられるので、手伝った記憶もほとんどない。
ということで、文字通り結び目のからまったコンプレックスが、心の中に存在することを、今回、あらためて確認した。どうやってほどくかは別として、コンプレックスを視認できたのはよかったかもしれない。
私は、いわゆるサロネーゼとよばれる人たちのblogをたくさんチェックしているけれども、自分はサロネーゼになろうとしているわけではないし、セレブでもない。(知人にはセレブもいたかもしれないが、私は違う行き方を選んできている。)時々頭がごっちゃになって、「私は何をしよう」って考えてしまうのだけれども、今の私には、何かを為そうとすることではなく、『好きなことをして過ごすこと』が第一なのだ。二人のカウンセラーさんにそう言われているのだから間違いない(笑)。
野の花のように働きもせず、紡ぎもしないで、ただ神のつくられたままに咲く、ということは、案外むつかしい。