フォーカシング入門中

心理療法の技法で、「フォーカシング」というものがあると、aiko姉様に紹介してもらった。紹介してもらったのはこのWebページ。面白そうだったので、市立図書館の蔵書検索でひっかかったこの本を借りて、読んでみた。

やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方

やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方

フォーカシングでは、自分の中に感じるもの(フェルトセンス)と対話をする。目を閉じて(閉じなくてもいいけど閉じた方がやりやすい)、呼吸を整えて、自分の内部にもやもやと上がってくる感覚をとらえて、その感覚に「こんにちは」と呼びかける。このとき、決して感情に巻き込まれないように注意する。自分はその感覚の横に腰掛けて、その感覚からわきあがってくる「言葉」に耳を傾けて、何かが聞こえたら「○○、ていうことでいいのかな?」と一旦確認をする。頭で考えるのではなく、ひたすら、感覚(フェルトセンス)の言葉を受け止め続ける。自分が意識的・あるいは無意識に押さえ込んでいた感覚と対話(傾聴)をすることで、新たな発見があったり、感覚の方が話を聞いてもらえただけで満足して変化していったりする。
例えば、わたしは「夕食を作りたくない」さんを体の中で探した。最初は胸の上の方に「やりたくない」さん、みぞおちの下の方に「体が重い」さんが居た。それぞれの気持ちを聞いて確認していくうちに、新たなフェルトセンス「依存心」さんが出てきて、胸いっぱいに広がった。「誰かにやってほしい」「誰かに手伝って欲しい」という言葉を受け止めて、私自身はひたすら横に座り続ける。ここで「それは駄目」とか「自分でやらないと」などとは言わない。肯定も否定もしないで、体が発する言葉を確認し、横に座ったままで居る。時間もいい頃になったので、「じゃ、またね」と挨拶をして、別れた。その日はまだ夕食は作れなかった(相方が作った)。
次の日は、夕食を作る直前に「作りたくない」気持ちが出てきたので、その気持ちを探すと、今度は昨日の依存心さんではなく、「めんどくさい」さんが胸の真ん中に居座っているのに出会った。ここで「めんどくさいけど誰かがやらなきゃいけない」と頭は言うけれど、それは受け流して、「こんにちは」と挨拶をして、「めんどくさい」さんの横に座って、言葉を待った。「めんどくさい」さんは、その存在を体の中に認めてもらえるだけで満足しているようだった。その日の夕食はレトルトカレーだった。
また次の日は、色んな場面で「めんどくさい」さんが顔を出してきた。お菓子を食べた後の袋を捨てる時、外出から帰って荷物を片づける時、リビングに散らばった子どもの物を拾い上げる時。顔を出すたびに「こんにちは」と挨拶をした。だんだん、挨拶をすればあとは行動の邪魔をしないようになってきた。「好奇心」さんも新たに発見した。また「こんにちは」。その日はつっかえながらも夕食の支度ができた。
長くなったが、自分の中の問題と「真っ正面から向き合う」のでも「格闘する」のでも「のりこえる」のでもなく、「こんにちは」と挨拶をすることで問題の存在を認め、ただ「横に座って話を聞く・言葉を復唱する」ことで、自分の体がどんなことを感じていたかを確認するのだ。自分自身はひたすら冷静を保つのがコツのようだ。
面白い技法なので、しばらく試してみることにする。