せっかちSOHO

「わたしは時期を選ぶに際して『せっかち』すぎる」の例。フタゴがまだ1歳になるかならないかの頃に始めたSOHO(在宅勤務)。
あれは今思うとあまりにも早すぎた。ご縁があってよいお仕事もいただいたけれども、あちこちに迷惑をかけ、自他ともに無理がかかり、結果的に心身ともすりへっていた。家の中で仕事をすることに見切りをつけて、外にアルバイトに出ることを決めたとき、「わたしの敗因は営業力のなさだ」と思っていたが、営業がどうのこうのという問題ではなく、単に自分の今の状態を客観的に見ることが出来ていなかったために、せっかちに走りすぎていたんじゃないのか?