仕事において主体性を発揮すること・しないこと

たとえ上から降ってくる仕事しかしない役目に居たとしても、こまかい工夫をしたり、環境を改善したり、サービス受益者の不便をまのあたりにして上や他部署に提案をしたり、つまり主体的に動くことは可能である。
どこの職場でも、主体的に動く人と動かない人の二種類が存在する。主体的に動く人から見れば、主体的でない人達がなぜその状態で平気なのかが、理解できない。

わたしは、仕事の場やボイスなど、家の外では、主体的に動く方だと思う。が、しかし、家の中のこと、家事、特に台所においては、現在、まったくやる気がない。主体性の主の字もない。家事にだって主体性を発揮して効率を上げて結果的に自分がラクをする方法があるということは、知っている。台所仕事なんて特にそうだ。いろんな工夫で「夕食の支度の憂鬱」を減らすことができる、と、頭ではわかっている。が、主体的に動いていない。つまり家では「主体的でない人」なわけだ。

「職場で主体的でない人たち」のことを理解できない、といったが、わたしはこの「家で主体的でない人」体験を通して、ひょっとしたら、彼らのことを理解することができるようになるのかもしれない。

少なくとも、今日までにひとつ気づいたこと。わたしは今、家事がままならないという問題に、どっぷりつかってしまっている。ぐちゃぐちゃな部屋の、ぐちゃぐちゃの中に、一緒くたになって座っている。まさに、なぜその状態で平気なのかが自分でもよくわからない。問題に直面してはいるが、顔から30cmの近さで直面している状態だ。

主体的であるためには、直面している事柄からちょっと目を離して俯瞰の目で見ることが、必須のような気がする。