無償の愛とか大我の愛とかいうけれど

ある人の文章からつつしんで引用させていただきます。

「愛という言い方は不適切かな」という前置きで。

「私は貴方にとって、太陽であり、水であり、空気でありたい。」

感謝されなくてもいい。見返りもいらない。

貴方がすこやかに育つのであれば
照らし続けて、恵み続けて、作り続けよう。

「わたしは○○を愛する」というと、恋愛や情愛などの『感情』を動機においた行動と混同されてしまう。「無償の愛」というと本当に相手のためになっているのかを省みずに盲目的に尽くし続ける極端な姿を想像されてしまう。

甘やかすのとは、違う。ときには厳しいことも言わなければならない。

本物の太陽はすべてのものに対してわけへだてなく光を与える。これは神の仕事。人間も神の子であるならば、まずは特定の人に対してだけでも構わないから、このように…。

恋愛感情や怒りや憎しみや喜び、すべての感情を充分味わい尽くしたら、こんどは、感情(ココロ)に一喜一憂させられない、こんなことをたまには追い求めてみるのもいいかもしれない。

ところで、
これは「母性」にほかならないんじゃないか、というふうにも読めるだろう。
ということは、もしかして、世の中のすべての母親にはこのような在り方が要求されているのだろうか?「母性」という名のもとに。だとすると、これは相当ハードルが高いぞ。