無事に生まれることのありがたさ

朝なんとなくTVをつけていたら、「通常の妊娠・出産にもかかわらず分娩時の事故により脳性まひになった場合」への経済的救済(産科医療補償制度というらしい)が検討されているという話題をやっていた。
適用されるケースは、たとえば、早期胎盤剥離や分娩時の低酸素状態など。確かに補償はいいことかもしれない。「さっきまでおなかの中で元気だった赤ちゃんが…」という思いもあるだろう。そして、生まれてきた「いのち」と共に過ごすためには、親にとって精神的にも経済的にも苦労がともなっているようだ。

でもね、みなさん(誰のことだ)、
「妊娠出産は順調にいって当たり前」という考え方、やめませんか?

わたしの身のまわりに、こんな事例がある。

  • 大学時代のクラブの友人は、「死産」を経験している。(まさに「さっきまでおなかで元気だった赤ちゃんが…」。)他の友人から速報が回ってこなかったら、出産祝いを送ってしまうところだった。どう言葉をかけてよいかわからず、一年ぐらい連絡できなかった。現在では彼女は3人の子持ち。
  • 中学からの友人が、フタゴ妊娠出産でたいへんな思いをしていた。(友人は小柄で、出産まで何ヶ月も入院した。また、小さく生まれたのでコドモ達だけが少し離れた病院に入院し、毎日母乳を届けに往復していた。)
  • 大学のクラブの先輩が、出産後に亡くなった。(たしか第二子で、出産前までは順調だったときいている。葬儀でのご主人の憔悴ぶりは忘れられない。)

わたしの周りのすこやかに育っている例と比較すると、大変な事例の数は少ないのかもしれないが、すくなくとも「離婚」の数よりは多いぞ…。
生きること自体が大変だった時代を経て、生きのびること自体は、今や「あたりまえ」。生まれた赤ちゃんに障がいがあったり危険があった場合でも、医療の高度化によって生きのびる確率も、増加している。でも、周産期には相変わらずリスクがつきもの。
一人の赤ちゃんが生命を受けて誕生し、すこやかに育つ。そのことは、ちっとも「あたりまえ」のことではない。少子化対策を論じているオジサンたちは「こんな良い世の中になったのに、なんで出産育児だけ疎んじられるのか?」と疑問かもしれないが、「普段の生活は昔に比べて便利になり安全で楽になったけれども、出産と育児は、同じだけの比率で『安全で楽』になったわけではない」と、実感している。

今も昔も、母親は自分の命を賭して新しい命を送り出している、とおもう。
でも、「それは今どきのライフスタイルに合わない・大変だからやらない」っていう理由を正当化したいとはおもわない。じゃあどうしたらいいのかな…そこはまだまだ考え中。