父と話す

実家の父に電話をした。父の声を聞いたらなんだか安心して泣けてきた。
小学生のとき、家に帰ってもいつまでものんびりして、宿題をしないで、母に怒られた。毎日毎日。「今やろうとおもったのに」と言ってみたり。何でもとりかかりが遅くて、始めるまでにものすごく時間がかかる。それが今でも同じことなのだ。いつまでものんびりして、食事の支度をしないで、子供のスケジュールが遅れる。わたしがリビングを片付けないから、子供もモノを踏むのが当たり前になって、片付けない。必要な服が「やま」の中を捜索しないと出てこない。ごもく部屋が常態化している。出かけるのはいつも時間ぎりぎりか、遅れがち。相方に言われないととりかかれない。*1

わたしは、昔から、家では、いつでも、ぐすぐす、のろのろ。でもその一方で、学校や職場ではそれほど不足のない(むしろそれなり以上の)働きができることもある。余計に自分に対する要求水準が高くなって、「何でもちゃんとしていて当たり前」と思ってしまうから、欠けた部分ばかりが目についてしまう。
きっと、他の人から見たら何でもない(よくある)ことが、わたしにとっての大問題になってしまっているんだろう。

結局、『生活リズムが大きく変わったんだから、スランプにも陥りやすいわな。お父さんだって、今は数少ないけど、スケジュールを、机の目の前に貼り出してあるでしょ。とにかく、ひとつふたつからでもいいから、何時に何をするとはっきりスケジュールをたててやってみなさいよ。そこは努力。』ということになった。
こういう具体的な進言ももちろんだけど、実家でいつも励ましてくれたのと同じ声で、おだやかに聞いてもらえたのが嬉しくて、また泣けてしまった。
(そして、書きながらまた泣いている...)

*1:ちなみに相方は、食事の支度でも片付けでもなんでも、わたしが何分も助走が必要なことを、0.5秒でやりはじめてしまう。