大阪のピアノマン

たまたまクリックしたら、昔お世話になった人だった。めちゃめちゃびっくり。
「大阪のピアノマン あいりんで路上演奏 音楽家として再起」
合田さんじゃん...。
わたしが大学生の頃に、高校のコーラス部(&交流のあったグリークラブ)とOBOG合唱団のコンサートで、合田さんにソリストをやってもらった。*1この年はわたしはOGマネージャをしていた。オケ合わせの日に、夜の練習場で、メサイヤ第二部の一連のテナーソロを歌ってはった姿が、何故か心に焼き付いている。いつも、メサイヤの "43. Thou shalt break them with a rod of iron" を聴くとその場面を思い浮かべるのだ。合田さんは当時、現役高校生のボイストレーナーもしてはったが、確か2,3年で降板されてしまった。音楽に対する厳しい姿勢が、部活動の雰囲気と合っていなかったのかもしれない。※補足:2,3年目に来られた新しい音楽の先生が声楽の専門家で、その人がボイトレもするようになったから、それでお役御免にならはったのかも。...曖昧な記憶...

合田さんは「昔はちょっと才能があると思っていい気になっていた。今は名誉欲も物欲も薄れ、手にはピアノを弾く力だけが残った。あるがままの心からあふれ出る音楽に何かを感じてくれれば」と話す。

17年前のソロの声には、音楽と闘うかのような力がこめられていた。これからは、文字どおり、音楽とともに生きる合田さんであってほしい。

*1:1988年12月18日(日) The 39th K.C.G.H.choir Christmas Concert 於関西学院大学中央講堂