育児で削られた時間は...

働くハハは忙しい。
訂正。
育児も家事も仕事もしているチチやハハは忙しい。

育児だけのヒトも、家事だけのヒトも、仕事だけのヒトも、
それなりに忙しいのは同じ。
でも、育児・家事・仕事の3つを同時に回すほうが忙しい。
「皿回し」を、いっぺんに3つ、同時に回しているようなものか。
それぞれ、ある程度以上の力をかけてやらないと回らない。
回す瞬間は、1つずつしか、手をかけられない。
1つにかまけて他をほっとくと、回らなくなって落ちる。

どれか1つをやっているときに、別の事柄の割り込みが入ることもある。
それぞれをちゃんとやろうとすると、睡眠時間も削られてへとへとになる。

そういう生活を続けると、こういう特殊技能を体得する人たちも居てはるらしい。

内田樹の研究室 5月の鯉の吹きなが思想家
http://www.tatsuru.com/diary/2003/03.08.html
このページの「8月9日」の後半のところ。
内田センセイは、男性だが、離婚後お子さんをひきとったため、幼児をかかえながら研究生活をしてはったらしい。


私が育児をしているときに、研究のために割ける時間が大幅に減少し、「無駄な本を読み、無駄なテーマを追う時間は一秒もない」というタイトな状況に追い込まれた。
するとどうなったかというと、書物の「背表紙」を一瞥しただけで、それが読むに値する本か、どうでもよい本かが言い当てられる能力が目覚めたのである。
他の研究者と会っても、聞く甲斐のある相手か時間の無駄かが一発で分かるようになった。

ちゃんと生物にはそういう「バイパス」形成能力が備わっているのである。

十数年間育児に忙殺され、寝食を忘れて一人書斎にこもるということが許されなかったおかげで、結果的におそらく私の学術的なセンサーの感度は高まり、アウトプットは現に増えた。

三砂先生も同じ経験を語っておられた。
日本に帰って、上の息子さんが「お弁当」をもって通学するようになったら、それまで研究に当てていた朝の時間が削られた。するとどうなったかというと、「コロッケを揚げたり、キャベツを刻んだりしながら、同時に研究テーマをさまざまな視点から熟慮する」能力が覚醒したのである。

そういうものなのである。

「それって、便利そう!じゃ、わたしもやってみよー!」と、思っただけでは、このようなセンサー能力はなかなか身につかないだろう。必要に迫られてという面が大いにある。
また、必要がなくなったら真っ先に削られてしまう能力かもしれない。

こういう能力を、わたしは、「魔法」と呼んでいる。
昔、わたしは確かに「魔法」を使っていたはずだ。
今、映画「魔女の宅急便」のキキのように、魔法を使えなくなって、あがいている。
小さな魔法でもいいから、よみがえらせたい。

それぞれの皿を「それなりに」回していこうとするには、非常にエネルギーが要るが、「それなりに」得られるものも多いのではないか。
そう信じていたい。