進むべき道のイメージが降りてきた話

それは、大学4回生の就職活動中のこと。
「10年後にはソフトウェア技術者が100万人不足する」という予測*1が世の中に出回り、わたしは随分前から、「よし、それなら私がSEになってやろうじゃないの」みたいな気持ちで、コンピュータ関係(メーカー・独立系ソフトハウス・子会社系ソフトハウス等)のセミナー(という名の一次選考)に挑戦し続けていた。しかし、面接で「どんなものを開発したいですか?」と聞かれても、頭は真っ白、何も思い浮かばなかった。特に何かをつくりたかったわけでなく、「よくわからんけど向いてそうだから」というのが志望理由だったのだから。
一方、大学での環境科学のゼミでの実験もあいかわらず面白かった。当時、所属学科に大学院はなく、他大学の大学院を受けるほどのガッツもなかった。また、その分野で自分の学校からたとえば食品会社や化学検査会社に就職したところで、研究の主要な(面白い)部分に関われるかどうかというと、疑問だった。それでも説明会には予約を入れていた。
システムエンジニアとバイオテクノロジー。二つのあいだで揺れていた。


ある夜、いつものように枕元で日記(愚痴帳というべきか)を書いていた。そうしたら、突然、システムエンジニアが何をする仕事なのかが、ぱーっとイメージできたのだ。顧客の要求をよく聞き、それを実現するために、システムを設計し、プログラムを間違いなく作って提供する、という一連の流れが。降りてきた、というべきか。その晩は夜更かしをして、図にしたり、言葉にしたりして、夢中で書き留めた。
そして、広い分野をカバーするコンピュータ会社(当時はSIerなどというコトバはなかった)に居れば、「バイオテクノロジー分野をコンピュータ技術で支える」というかかわりかたも可能かもしれない、ということにも、思い至ったのだった。


後日、この降りてきたイメージを第一志望の面接でしゃべったら、人事の人に「よく覚えてこられましたね」と言われて苦笑した。実は暗記したわけではなかったのだ。ただ、ウグイス色のボディコンスーツ*2を着たわたしの口から出る言葉としては、あまりにそぐわなかったのだろう。(考える時に目が中空を泳ぐくせがあるしね)


今、またあんなふうに次の自分の姿が降りてこないだろうかと、今度はパソコンに向かってアレコレ書きながら、待っている。(待っているというと非常に受け身なようだが、受け身にならないように色々工夫はしているのだ)

*1:ソフトウェア・クライシスと呼ばれていた。実際はそんなに不足することはなかった。

*2:当時は小マシなスーツといえばボディコンしかなかったのよっっ!!流行だからしょうがないじゃん!